チャプレン長メッセージチャペル
建学の精神(2024年4月入学式奨励より)
チャプレン長 広田 勝一
これから立教大学で学ぼうとする皆さん、入学おめでとうございます。皆さんの入学は自分ひとりの力だけでなく、家族を含めた多くの方々の支えがあってのことだと思います。謙虚な気持と感謝の気持ちはいつまでも大切にしたいものです。
私たちの立教は、今から165年前に、聖書の教えに従って、真理と愛の道を伝えるためにアメリカから、日本に来られた一人の宣教師によって、創立されました。この宣教師の名は、C.M.ウィリアムズと言います。米国聖公会の聖職で、後に主教となりましたので、私達はウィリアムズ主教と呼んでおります。そのウィリアムズ主教によって、150年前、築地居留地の一角に「立教学校」が誕生したのです。皆様の入学は、記念すべき創立150周年と重なります。
150年前、当初の生徒は5名とも8名とも言われ、聖書と英語を教える小さな私塾でありました。しかし生徒は徐々に増えていくことになります。この小さな学校が「立教学校」と呼ばれました。当時の「富国強兵」「和魂洋才」というスローガンのもと、欧米先進諸国の文明に追いつくことに熱心であった我が国の風潮の中で、ウィリアムズ主教は「知識をつめこむ教育ではなく、人間が、それぞれに与えられた賜物を生かせるような教育をしよう」という意図をもって立教を創設しました。まさにキリスト教に基づく人格教育であります。
また創立者ウィリアムズ主教は、学校のみならず日本聖公会という教会の礎を築いた人であり、出会った人々はその謙虚さと高潔な人格に感銘を受けてきました。
日本在住50年、熱意ある開拓精神、業績を誇らない謙虚さ、何よりも自分ではなく神に栄光を帰する歩み、79歳で帰国する際には、ごく限られた人だけに伝え、船上から神の祝福を祈りつつ日本を離れました。このようなウィリアムズ主教の生涯は、まさに「道を伝えて己を伝えず」この言葉に集約されます。
さて皆さんにとり立教の建学の精神は、まずこの入学式において感じられるかもしれません。このタッカーホールに入れば正面には十字架が掲げられており、校旗を先頭にプロセッションがありました。壇上の校旗をみれば、紫に白地で十字が描かれています。まさにこの十字はイエス?キリストを指し示す十字架です。イエスが歩まれた道、それは苦しみ、困難の中に生きる人と共に歩む愛の道であります。さらにイエスは、当時の権力者との対立によって、十字架にかかります。しかし最後まで神への信頼を貫き通す正義の道を示されたお方です。
こうした愛と正義の道を歩み続け、私たちに本当の自由の道を開こうとされたお方が、イエスであります。私たちの校旗は、私たちに様々な困難、苦しみにぶつかっても、しっかりとそこに踏みとどまりつつ、愛と正義の道を歩むように求められています。
私たちの立教の創立者であるウィリアムズ主教は、こうした「道」を伝えることを使命としていたのであります。今、愛と正義の道と云いましたが、私たちの校歌に注目したいのです。
この式の最後に校歌を歌います。校歌「栄光の立教」は、本学が東京六大学野球連盟に加入したのをきっかけにつくられ、98年前の1926年の卒業式で初めて公に歌われました。1節の歌詞を言い直すと「富士山が遠くに見え、ムラサキの花が咲き乱れている武蔵野台地に、自由の学府である立教大学の校舎が堂々とそびえたっている」となります。ぜひ覚えて頂ければと願います。特に2節の「愛の魂、正義の心」、この言葉に心を留めていただきたい、先ほどの「愛と正義の道」と重なってきます。
90数年前、ある学生が母校の立教を紹介する一文を受験雑誌に次のように投稿しています。「立教の(モットーは紳士になることである。)校舎前の芝生を囲む図書館とチャペル、この二つこそ知識の母、魂の母である。立教の自由の扉は常に開かれている」と。90数年前の先輩の言葉が今年も思い起こされます。この知識の母と称された図書館(門をくぐり左手にある2階建ての建物)は、10年前に展示館として生まれ変わりましたが、そこにも脈々と流れる「建学の精神」を見ることができます。そして魂の母は、まさに建学の精神の具現化であるチャペルの存在にあります。
立教大学には二つのキャンパスがありますが、新座キャンパスに入ると、まずチャペル(聖パウロ礼拝堂)が皆さんを迎えています。そしてこの池袋キャンパスにあるチャペル(諸聖徒礼拝堂)は、キャンパスの中でも本館、そして旧図書館に次いで建てられています。竣工104年となりました。このように両キャンパスに入れば、まずチャペルがあります。そこでは日々、世界の正義と平和のため、そして立教学院のため、そして皆さんのために祈りが捧げられています。これが立教です。
またこの入学式では、祈り、聖書の朗読がありました。祈りの最後に唱えるアーメンとは、その通り、真実を意味します。まさに祈りが共有されるのです。どうぞチャペルでの昼の祈り、夕の祈りに参加し、立教の心を感じ取っていただければと願います。
最後になりますが、入学された皆さんは人生の目的をどこにおくのでありましょうか。どうぞこの数年間の学びの中で、それが神を知ること、つまり普遍的真理探究にあるということを学び取ってもらいたい。イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。この道、真理、命を知る。ここに私たちの目的を見出したいのであります。創立者ウィリアムズ主教の心(思い)もここにあります。どうぞ真理探究の場、時として、与えられた学びの時を過ごしてください。「真理があなたがたを自由にします。」
入学された皆様の上に、神の豊かな祝福と今後の導きをお祈り申し上げます。
私たちの立教は、今から165年前に、聖書の教えに従って、真理と愛の道を伝えるためにアメリカから、日本に来られた一人の宣教師によって、創立されました。この宣教師の名は、C.M.ウィリアムズと言います。米国聖公会の聖職で、後に主教となりましたので、私達はウィリアムズ主教と呼んでおります。そのウィリアムズ主教によって、150年前、築地居留地の一角に「立教学校」が誕生したのです。皆様の入学は、記念すべき創立150周年と重なります。
150年前、当初の生徒は5名とも8名とも言われ、聖書と英語を教える小さな私塾でありました。しかし生徒は徐々に増えていくことになります。この小さな学校が「立教学校」と呼ばれました。当時の「富国強兵」「和魂洋才」というスローガンのもと、欧米先進諸国の文明に追いつくことに熱心であった我が国の風潮の中で、ウィリアムズ主教は「知識をつめこむ教育ではなく、人間が、それぞれに与えられた賜物を生かせるような教育をしよう」という意図をもって立教を創設しました。まさにキリスト教に基づく人格教育であります。
また創立者ウィリアムズ主教は、学校のみならず日本聖公会という教会の礎を築いた人であり、出会った人々はその謙虚さと高潔な人格に感銘を受けてきました。
日本在住50年、熱意ある開拓精神、業績を誇らない謙虚さ、何よりも自分ではなく神に栄光を帰する歩み、79歳で帰国する際には、ごく限られた人だけに伝え、船上から神の祝福を祈りつつ日本を離れました。このようなウィリアムズ主教の生涯は、まさに「道を伝えて己を伝えず」この言葉に集約されます。
さて皆さんにとり立教の建学の精神は、まずこの入学式において感じられるかもしれません。このタッカーホールに入れば正面には十字架が掲げられており、校旗を先頭にプロセッションがありました。壇上の校旗をみれば、紫に白地で十字が描かれています。まさにこの十字はイエス?キリストを指し示す十字架です。イエスが歩まれた道、それは苦しみ、困難の中に生きる人と共に歩む愛の道であります。さらにイエスは、当時の権力者との対立によって、十字架にかかります。しかし最後まで神への信頼を貫き通す正義の道を示されたお方です。
こうした愛と正義の道を歩み続け、私たちに本当の自由の道を開こうとされたお方が、イエスであります。私たちの校旗は、私たちに様々な困難、苦しみにぶつかっても、しっかりとそこに踏みとどまりつつ、愛と正義の道を歩むように求められています。
私たちの立教の創立者であるウィリアムズ主教は、こうした「道」を伝えることを使命としていたのであります。今、愛と正義の道と云いましたが、私たちの校歌に注目したいのです。
この式の最後に校歌を歌います。校歌「栄光の立教」は、本学が東京六大学野球連盟に加入したのをきっかけにつくられ、98年前の1926年の卒業式で初めて公に歌われました。1節の歌詞を言い直すと「富士山が遠くに見え、ムラサキの花が咲き乱れている武蔵野台地に、自由の学府である立教大学の校舎が堂々とそびえたっている」となります。ぜひ覚えて頂ければと願います。特に2節の「愛の魂、正義の心」、この言葉に心を留めていただきたい、先ほどの「愛と正義の道」と重なってきます。
90数年前、ある学生が母校の立教を紹介する一文を受験雑誌に次のように投稿しています。「立教の(モットーは紳士になることである。)校舎前の芝生を囲む図書館とチャペル、この二つこそ知識の母、魂の母である。立教の自由の扉は常に開かれている」と。90数年前の先輩の言葉が今年も思い起こされます。この知識の母と称された図書館(門をくぐり左手にある2階建ての建物)は、10年前に展示館として生まれ変わりましたが、そこにも脈々と流れる「建学の精神」を見ることができます。そして魂の母は、まさに建学の精神の具現化であるチャペルの存在にあります。
立教大学には二つのキャンパスがありますが、新座キャンパスに入ると、まずチャペル(聖パウロ礼拝堂)が皆さんを迎えています。そしてこの池袋キャンパスにあるチャペル(諸聖徒礼拝堂)は、キャンパスの中でも本館、そして旧図書館に次いで建てられています。竣工104年となりました。このように両キャンパスに入れば、まずチャペルがあります。そこでは日々、世界の正義と平和のため、そして立教学院のため、そして皆さんのために祈りが捧げられています。これが立教です。
またこの入学式では、祈り、聖書の朗読がありました。祈りの最後に唱えるアーメンとは、その通り、真実を意味します。まさに祈りが共有されるのです。どうぞチャペルでの昼の祈り、夕の祈りに参加し、立教の心を感じ取っていただければと願います。
最後になりますが、入学された皆さんは人生の目的をどこにおくのでありましょうか。どうぞこの数年間の学びの中で、それが神を知ること、つまり普遍的真理探究にあるということを学び取ってもらいたい。イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。この道、真理、命を知る。ここに私たちの目的を見出したいのであります。創立者ウィリアムズ主教の心(思い)もここにあります。どうぞ真理探究の場、時として、与えられた学びの時を過ごしてください。「真理があなたがたを自由にします。」
入学された皆様の上に、神の豊かな祝福と今後の導きをお祈り申し上げます。